科学では証明できない事は数あれど。
魔術や超能力と言った超自然現象はその筆頭と言った感じでしょうか。「ガダラの豚」でも描かれるこれ等の現象は最近ではテレビでも多く取り上げられその検証が為されていますが、結局真相の究明に至る事は無いようです。
ファンタジーに見られるような、「火が出るよ、どかーん」みたいな魔法はさすがに皆さん「無い」と言い切れる事でしょうが、オカルトチックなよく解らない力というと何となく信じてしまう人、居るんじゃないでしょうか。ホラー映画とかでは「呪い」なんて良く聞きますしね。
ただ、私は少なくともこの「呪い」というものは信じて居ないのです。
祈りや願い、果ては恨みと言った人間の意志が他人の生き死にを左右するなんて事は有り得ない、そう思います。では、順番にその理由を説明して行きましょう。
呪いと言えば恨み。
恨まれている人が死ぬなら、歴史上の暴君や虐殺者は尽く怪死を遂げているはずですが、そうでもありません。真面目にやってなかったせいで国政がボロボロになって革命で失脚するか、或いは戦争に負けて殺されるか、普通に寿命で死ぬか。その程度でしょう。
「アイツ死んじまえば良い!」
思い切り信じている人はそう言って本気で呪った気になって、相手に起こったちょっとの不幸でも「これが呪いの力だぜ!」と言うかもしれません。が、当の本人は全く気にして無い事のほうが多いもの。ツイてないなぁ、ぐらいで。
ただ、心理学的にはプラシーボ効果というものが確認されており「お前を呪ったぜ。近いうちにヤバい事になるぜ」と言われ、「マジで!?どうしよう!?うそーん!」などと思い切り不安になり疑心暗鬼で暮らすならその心理状態はやがて体調不良を引き起こし、そのままマイナスの連鎖が起こったりするでしょうが・・・
信じて無いなら呪いに効力などありません。
歴史上の暴君が失脚したのは呪いの性ではなく、権謀術数に長けていなかったからでしょう。ただ、それが上手ければ暴君とは呼ばれないような気がします。
こうして考えると、呪いは「無い」では無く条件付で存在する、と言うべきなのでしょうか。宗教も、呪いも、魔術も、人の信じる心が生み出すものだと思うのですが・・・どうでしょう。
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