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サッカーワールドカップまで後一ヶ月。
オークションではプラチナチケットに信じられない値段が付いていますが、その中にはICチップが入っており、一次購入者の個人情報が記録されているようです。これ等の情報は入場の際確認され、相違が見られると入場を断られることもあるのだとか。FIFAが転売その他を防ぐ為に行った手段・・との事ですが。 今日はぼんやりと呟き。 旧約聖書に、こんな一文があります。 Nihil sub sole novum. ラテン語でニヒル スブ ソーレ ノウムと読み、「太陽の下に新しいものは何も無い」という意味になります。裏を返せば全ての物は神によって創造済みである、という意味にでもなるのでしょうか。 私の知る知識や、これから生み出す知恵というものは須らく賞味期限付きのものであると共に「直ぐに陳腐化してしまうもの」と覚悟しています。その為、常に新たな創造が出来るように努力している積りなのですが、結局それすらも既に体系化された学問という枠の中での事です。 今私が思いついたばかりの事にしても、それは既に誰かが考え、通った道。そう考えると、世界の広さを感じると共に一種の虚無感を覚えます。誰かの知識を私も得る事には個人的な意味しか無いのかなぁ、とか。 それは凡人が聡い人間に会った時の感覚にも似ていて、自分はなんと無力な事かと痛感します。ただそこで諦め思考停止してしまうのはあまりに短絡的というもの。 恐らく、次に語られるのは個性。発想力や独創性が知識を凌駕する事は多くありますが、しかしこの個性は「新しい物」を生み出す鍵になってくれるのでしょうか。そもそも、一体何処まで行けば新しいのでしょう。 聖書の言葉の意味がまだ解りません。 果たして新しい物とは?創造は本当に無理なんでしょうか。 __________________ footnote: ■旧約聖書(伝道の書1:9) PR |
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