公理とは解りきった事。
それが真である事を証明する必要がない程明らかな事柄です。
理論体系というのは、原点とする幾つかの公理の上に積み上げられていくモノで、この前提が崩れるとその理論は完全に破綻してしまう事に。
それ故土台である公理の選択は非常に慎重に行われるのですが・・
世の中、誰もが認める「正しい」事なんてあんまり無いモノです。勿論、数学的もしくは科学的な証明が得られるモノはまだ良いのですが、しかし、それが証明出来ない場合は・・?
例えばAIという映画に心を持つロボットが出てきますが、しかしどうやって「それがある」と証明したのでしょう。目の前で話している相手、人間に対してですら、原理的にそれを証明する事は出来ないはずです。
また、常識というようなものに従っていても、それが本当に正しいのか解らなくなる事も多いですし、その「常識」が食い違う事もままあるでしょう。こうなってくると、もはや何が正しいのかなんて論じる事がナンセンスに思えてしまいます。
人は本当にそれぞれなもの。
趣味も、思想も。その正しさを語る事は難しいですが
理解する事は出来るのでしょうか。
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