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五月病から回復。
我ながら気分屋だと思いますが、数日ぼんやりしているとやる気も再び起こるものです。何もして居なかった反動なのか、ガンガン動いています。そんなワケでレポート的な事をコレから片付けてしまおうかなと。やはり休憩は重要なものだと感じた週末なのでした。 さて、今日はちょっと重たい話。 元ネタは一冊の本ですが、私にリベートはありません。 ファンタジーの世界、etudeにおいては毎日のように起こっている争い。 一部のキャラクターはライトノベルの影響なのか、それともコンシューマーゲームの影響なのか切り替えがとても早く、相手を「悪人」と判断すれば相手が人間だろうと張り切って殺しに行くようです。仕方ないからと言うのは良く聞きますが、実際はどうなのでしょう。 Dave Grossman著の「戦争における「人殺し」の心理学」 (原題:On Killing: The Psychological Cost of Learning to Kill in War and Society)では実際に戦場を経験した兵士達から聞き取り調査を行った結果が纏められています。著者自身も23年間米陸軍に所属していた事もあり、そのデータは詳細にして膨大。この原書は米軍で教科書として使われているようです。 簡単に内容を紹介しますと・・ 人を殺そうとする事、人を殺す覚悟をする事が精神に与える影響や、戦場での兵士達の行動について。例えば、2次大戦で実際に発砲を行った兵士は全体の20%程度で、しかも「意図的に」狙いを外していたなど。人は自分が殺される状況にあったとしても人を殺す事は出来ないとされています。 データに寄れば、実際に殺しを行い正常で居続けられる人間、戦い続けられる人間は全体の2%に過ぎません。それ以外の人間は威嚇射撃を行うか、逃亡するか、もしくは降伏する道を選ぶようです。逃亡、降伏後に殺される可能性は全員が知っているにも拘らず、です。 ただし、人間は条件付けにより刺激に慣れるもの。 暴力的な映画やTV番組、戦争ゲームのようなものが蔓延する昨今ではこのデータは大きく変わってきているようです。戦争という極限状況で人を殺す事の是非はここで問いませんし、責任を追及されることもほぼありませんが、それでも殺人に慣れる事には恐怖を感じます。 ただ、こういう事を書くと「私は殺しに躊躇しているから大丈夫」と言う人が少なからず出てくると思います。しかし、私が本当に辟易しているのはそう言った自称「良い子ちゃん」の存在。 ここでの「良い子ちゃん」の定義は何一つ建設的な行動を起こさないのに、口では良い格好したがる連中の事。掲示板では少し話題に上がっていましたが、ライトノベルで生きている人達は大体コレに当てはまるのだと思っています。 ファンタジーには各人それぞれに違った定義がある事でしょうが、少なくともETUDE内ではリアリストもライトノベル志向の人間も居り、時折それらが対立している様に感じます。 上手く共生できれば良いンですけどね。 -------------------- ■戦争における「人殺し」の心理学(amazon.com) PR |
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