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【2024/05/17 00:23 】 |
知るとか、解るとか。
どこでも勉強。

バイト先でちょっと困った人に会い、図らずしも精神修行をすることになりました。噛みあわない話とぶっ壊れた論理。何を言われても頭を下げるのが接客の一つのあり方ですから、ストレスがたまります。バイト先の先輩が大部分対応してくれたのですが、私は本当にまだまだだと思いました。

さて、今日は以前にも少し話した、議論の話に少し関係のある事を。
正統派の「議論」を論じるよりも裏道にそれた方が楽しいと思うのです。
・・ほら、英語は文法習うよりスラング習った方が楽しいし。



議論をしていると目にするのが根拠の無い話や、強引な自説を述べ、相手を無理やり納得させようとする手法。主張の押し付けは嫌われる所ですが、それ以上に話の正当性が希薄なことが多かったりします。しかし、ここで問題にするのは「その話が正しいかどうか」ではなく、そのような人間の話し方。多くはその組み立て方に問題があります。

「トンデモ」については以前軽くネタにしたのですが、そのような論理を並べる人間というのは大半は自分が欲しい結果や結論からスタートし、後付でその根拠などを付け加えていきます。そう、例えば・・

・○○でガンが治る!→あの教授も大絶賛
・キリストには妻子が居た!→実はダ・ヴィンチの絵に秘密があった。
・トルマリンパワーで貴方も大金持ちに!→全国から喜びの声が

ネタで話す分には笑える数々のトンデモですが、今回はあくまで「内容」ではなく論じ方がテーマですので、このあたりに突っ込むのは割愛します。一つ言えるのは「知った」とか「解った」などと確信するステージが通常の人間とは異なる・・ということでしょうか。

一般的に理論というのは疑問から始まります。○○するにはどうすれば良いのか。この現象はなぜ起きるのか。この問題は本当に正しいのか。突き詰めていって、最終的に「○○にはこんな力が!」と発表するのですが、トンデモ論は「神が私に教えてくれた」「直感が告げているのだ」なんていう妙な確信から、いきなり答えを得てしまいます。

疑問から始まった人間は、突っ込まれ続けると最終的に「解りません」というのに対し、結論から始まった人間は「とにかくそうなるんだ」と居直ります。 さらにもう一点、トンデモ論というのは、問題を単純化しようとします。例えば「少年犯罪が増えているのは暴力的なゲームや映画が原因だ」「貴方の周りに不幸が起きているのは悪霊のせいだ」など。

実際には社会現象のほとんどは多種多様な原因が絡み合い、それぞれ関係しあって起きているのであって、言葉一つで説明できるものではありません。問題はそれらを全て説明できないことではなく、最初に導いた一つの結論を信じ込み、それ以外を受け付けないということです。

・・・でも、どんなに分析をした所でそんな論理を並べる人間への対応が出来る様になるわけではありません。それを可能にするのは多くの精神力と、そしてコミニケーション能力。最後に決して怒らない忍耐力。

社会勉強って・・凄く身になるなぁ。
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【2006/06/03 20:42 】 | 雑記 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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